2017年12月15日
旅のことと転居のご報告
いつも旅の途中。
人生そのものが旅のようなものだと思っているから 旅の人生のなかでわざわざ旅に出るとこもないと思うんだけれど、
でも旅が好き。
一度の旅ではできる限り長い日程を取りたいと思う。
(今はなかなか叶わないけれど)
例えば旅行先に2週間もいると、表面的な旅の目的以外のことをいろいろ考え出したりする。
リフレッシュが目的だった旅も、今まで見えていなかった、いわゆるお客さん用のおもてなしを剥がした本当の牧歌的な人の精神性が見えてきたり、
または基層の文化の闇を感じたり。
感じたことはもちろん私が内面に抱えていることだから、結局自分の内側の旅でもあるんだけど。
2年前に小学生の次男と最後の旅行と思い、思いきってアメリカのポートランドに行ってきた。
その時も2週間の日程をとった。
始めの1週間は世界きってのサステナブルシティーの実態に驚き、
下調べしたレビューに頷き、
西海岸出身のイケメンのホストの顔とシェア精神にうっとりしながらあっという間に過ぎた。
後の1週間は自分のなかのレイシズムとの対面の連続だった。
少し郊外に出ると、イエローである母子に注がれるバスの中での視線が痛かった。
通っていたスケートパークのそばで何度か利用したメキシカンのフランチャイズレストランのオーダーの時は中で働く移民の労働者の目は私たちにあたたかく注がれた。
白人の多い街で旅行者の少ない季節だったから、アジア人のしかも母子二人というのは「何か訳あり」に見えたにちがいない。
サイドでつけるフレンチフライが明らかに両側の白人客より量が多かった。
マイノリティー同士の暗黙の励ましだと思った。
スケートパークでティッシュをもらうことを口実に毎日話しかけてくる
25歳のロス出身の白人青年は私が他に気をとられていると、まるで小さい子どものように、わざと気をひく行動をした。
彼はいつもパークに一人できているようだった。
肌の色がマジョリティーでも、彼がマイノリティーであることはすぐにわかった。
郊外に出る時に長時間のバスのなか、
客層が白人中心からいつの間にか、インディヘナ系に変わっていた時に襲われたなんとも言えない不安感に
自分の中に隠し持っていたレイシズムに気がついた。
2週間の滞在で思い知ったのは、
日本という小さな島国、単一民俗で、わりと整備の行き届いた後の都会の外れで育った私の中には、単純でわかりやすい「良識」や「多数派と少数派」の概念しか育っていなくって、
複層が複層の上に重なって崩れた上にまたさらに複層が重なるみたいなカオス状態がデフォルトで育った人たちと人間のスケールが全く違うことだった。
旅はこうやって自分の視野の狭さとか、
小さい場所でくるくる動いている時には気がつけないような自分の内面を表面に出してくれる。
だから人生の旅の中でもまた旅がしたくなるんだね、笑
・
・
・
1月早々に沖縄市への転居がきまりました。
2012年の2月に浦添市から今帰仁村に移って早いものでもうすぐ6年になります。
あっという間の月日。
そもそも便利な浦添から自然豊かな今帰仁に越してきたのは、
都会すぎる環境での子育てに限界を感じたからだったのですが
今度は逆に、
多様で雑多な環境を望んでの引越しです。
(一つの場所に落ち着かない、アイデンディティーを持たない親を持つと子どもも根無し草のようになるかな?とちょっと心配になるのだけど)
とてもお世話になった今帰仁村は自然が素晴らしくって、
沖縄本島の中でもうここしかないと言われている、山から海が分断されていない景色があります。
自然界の循環するエネルギーの中で、
それを当たり前として、全身からそのパワーを吸収しながら過ごせた当時小学校の低学年だった次男と中学生だった長男は、
もう14歳と19歳。
かけがえなのない体験をさせてもらいまいした。
もちろん私も。
今帰仁は海岸沿いの岩に横穴が彫られて、いくつものお墓があるんだけど、
今はもう親族も絶えて無縁になっていると思われるお墓の前は雑草が勢い良くはえて、
春になると蝶々がひらひらと舞い、
本物の天国のような、おとぎ話の世界のような景色に我を忘れたこともあります。
高台から海を眺めると自然の海岸線の美しさや豊かなイノーに支えられた人々の暮らしがありありとみえて、
そして、昔、同じようにここから海を見つめて外に開かれていた人々の想いを感じます。
農耕民族でありながら、海洋文化を持った琉球の先人たち。
子どもたちのDNAの中にはどんな風にきざまれたんだろうか?
カラカラのスポンジのようにここでのことを身体いっぱいに吸い込みながら大きくなっていったんだなー
そして次の場所でもたくさんのことを吸収して
今までの事と混ぜ合わせて自分を作り上げていって欲しいなーと思ってます。
よそ者の旅家族を受け入れてくださった、地域の皆さんや自然に感謝します。心から。
(言葉にはできない想いがいろいろとあります。嘘っぽくなるので書きません)
旅に例えるなら、
やはりこの滞在でもいろいろな内面が表面化して対面することができました。
大切に刻み込まれました。
感謝します。
(やはりうまく言葉には出来ません。。。。)
住まいは移りますが、もうしばらくお仕事で関わらせていただくので
お別れという感じはいたしません笑 、驚くほど。
ご縁は続くものと信じておりますので(勝手に)
これからもどうぞよろしくお願いします!
ご報告でした。

人生そのものが旅のようなものだと思っているから 旅の人生のなかでわざわざ旅に出るとこもないと思うんだけれど、
でも旅が好き。
一度の旅ではできる限り長い日程を取りたいと思う。
(今はなかなか叶わないけれど)
例えば旅行先に2週間もいると、表面的な旅の目的以外のことをいろいろ考え出したりする。
リフレッシュが目的だった旅も、今まで見えていなかった、いわゆるお客さん用のおもてなしを剥がした本当の牧歌的な人の精神性が見えてきたり、
または基層の文化の闇を感じたり。
感じたことはもちろん私が内面に抱えていることだから、結局自分の内側の旅でもあるんだけど。
2年前に小学生の次男と最後の旅行と思い、思いきってアメリカのポートランドに行ってきた。
その時も2週間の日程をとった。
始めの1週間は世界きってのサステナブルシティーの実態に驚き、
下調べしたレビューに頷き、
西海岸出身のイケメンのホストの顔とシェア精神にうっとりしながらあっという間に過ぎた。
後の1週間は自分のなかのレイシズムとの対面の連続だった。
少し郊外に出ると、イエローである母子に注がれるバスの中での視線が痛かった。
通っていたスケートパークのそばで何度か利用したメキシカンのフランチャイズレストランのオーダーの時は中で働く移民の労働者の目は私たちにあたたかく注がれた。
白人の多い街で旅行者の少ない季節だったから、アジア人のしかも母子二人というのは「何か訳あり」に見えたにちがいない。
サイドでつけるフレンチフライが明らかに両側の白人客より量が多かった。
マイノリティー同士の暗黙の励ましだと思った。
スケートパークでティッシュをもらうことを口実に毎日話しかけてくる
25歳のロス出身の白人青年は私が他に気をとられていると、まるで小さい子どものように、わざと気をひく行動をした。
彼はいつもパークに一人できているようだった。
肌の色がマジョリティーでも、彼がマイノリティーであることはすぐにわかった。
郊外に出る時に長時間のバスのなか、
客層が白人中心からいつの間にか、インディヘナ系に変わっていた時に襲われたなんとも言えない不安感に
自分の中に隠し持っていたレイシズムに気がついた。
2週間の滞在で思い知ったのは、
日本という小さな島国、単一民俗で、わりと整備の行き届いた後の都会の外れで育った私の中には、単純でわかりやすい「良識」や「多数派と少数派」の概念しか育っていなくって、
複層が複層の上に重なって崩れた上にまたさらに複層が重なるみたいなカオス状態がデフォルトで育った人たちと人間のスケールが全く違うことだった。
旅はこうやって自分の視野の狭さとか、
小さい場所でくるくる動いている時には気がつけないような自分の内面を表面に出してくれる。
だから人生の旅の中でもまた旅がしたくなるんだね、笑
・
・
・
1月早々に沖縄市への転居がきまりました。
2012年の2月に浦添市から今帰仁村に移って早いものでもうすぐ6年になります。
あっという間の月日。
そもそも便利な浦添から自然豊かな今帰仁に越してきたのは、
都会すぎる環境での子育てに限界を感じたからだったのですが
今度は逆に、
多様で雑多な環境を望んでの引越しです。
(一つの場所に落ち着かない、アイデンディティーを持たない親を持つと子どもも根無し草のようになるかな?とちょっと心配になるのだけど)
とてもお世話になった今帰仁村は自然が素晴らしくって、
沖縄本島の中でもうここしかないと言われている、山から海が分断されていない景色があります。
自然界の循環するエネルギーの中で、
それを当たり前として、全身からそのパワーを吸収しながら過ごせた当時小学校の低学年だった次男と中学生だった長男は、
もう14歳と19歳。
かけがえなのない体験をさせてもらいまいした。
もちろん私も。
今帰仁は海岸沿いの岩に横穴が彫られて、いくつものお墓があるんだけど、
今はもう親族も絶えて無縁になっていると思われるお墓の前は雑草が勢い良くはえて、
春になると蝶々がひらひらと舞い、
本物の天国のような、おとぎ話の世界のような景色に我を忘れたこともあります。
高台から海を眺めると自然の海岸線の美しさや豊かなイノーに支えられた人々の暮らしがありありとみえて、
そして、昔、同じようにここから海を見つめて外に開かれていた人々の想いを感じます。
農耕民族でありながら、海洋文化を持った琉球の先人たち。
子どもたちのDNAの中にはどんな風にきざまれたんだろうか?
カラカラのスポンジのようにここでのことを身体いっぱいに吸い込みながら大きくなっていったんだなー
そして次の場所でもたくさんのことを吸収して
今までの事と混ぜ合わせて自分を作り上げていって欲しいなーと思ってます。
よそ者の旅家族を受け入れてくださった、地域の皆さんや自然に感謝します。心から。
(言葉にはできない想いがいろいろとあります。嘘っぽくなるので書きません)
旅に例えるなら、
やはりこの滞在でもいろいろな内面が表面化して対面することができました。
大切に刻み込まれました。
感謝します。
(やはりうまく言葉には出来ません。。。。)
住まいは移りますが、もうしばらくお仕事で関わらせていただくので
お別れという感じはいたしません笑 、驚くほど。
ご縁は続くものと信じておりますので(勝手に)
これからもどうぞよろしくお願いします!
ご報告でした。

2017年07月20日
最近髪の毛が痩せてきた?
こんにちは〜
夏本番の沖縄ですねーいかがおすごしですか?
今日のお題目、ちょっと脅迫めいてるけど、、
最近よくお客様からも聞かれる言葉なので書いてみることにしましたよ。
「髪が痩せてくる」ってよく言いますね。
素敵な中高年の皆様方でも多分、ほとんどの方に経験があるんじゃないでしょうか?この感覚。
私は30代の半ばくらいで、おでこに沢山あったパヤパヤしたおくれ毛がいつの間にかキレイになってる(笑)というのをすごく覚えています。
同時に髪に張りがなくなってウネリが少し強くなりました。
もともと髪の毛が細くって、少し天然のウネリがある私の髪質。
髪が細いから、つむじの地肌が見えちゃうのを中学生くらいのお年頃の時に自覚してしまって、
それからというもの、レイヤーで誤魔化せないかとか、一生懸命努力したのを覚えてます。
もともと髪の豊かなかたはそんなに気にしたことがないのかもしれないけど、お年頃の私には一大事でした。
で、時は過ぎ、、、
ある意味、また来たお年頃(笑)
「髪が痩せる」お年頃。
(出産や授乳で髪が痩せるのも一つのお年頃ですね)
この「髪が痩せる」のには原因があるんですが
・長年繰り返してきたパーマやヘアダイによる頭皮のダメージ
・エストロゲン(女性ホルモンの一種)の減少(男性もですよ)
・カルシウムの不足、栄養不良、内臓疾患、貧血、骨粗しょう症、。。。などなど
アーユルヴェーダでは髪の毛は「アスティ・マル(Ashthi mal)」といって、「骨のゴミ」だと言います。
食物からの栄養が血液になり、骨を作り、その残りが髪や爪を作るといわれていて、
体にとって栄養が十分でそれが吸収されないと、髪や爪まで行き届かずに髪が細くなってしまったり、爪が割れてしまったり。
じゃ、、どうする????
すでに加齢により骨粗鬆になってしまっていたりする場合は食生活から、カルシウムを補う食生活にするとだいぶ回復するようです。
・鶏ガラや煮干しのスープ
・ゴマ
・大豆製品
・バナナやオクラはフォスフォラスというミネラルが豊富なのでオススメだし
・ミネラルの吸収を助けるレモンやお酢を一緒にとれば、なお◎
半年も気を使っていると本当に変わってきます
ぜひぜひ、この体が変わっていく感じ、味わってみてください!
エストロゲンの減少にはウコンとアロエを取るのがオススメ。
沖縄は生のウコンも手に入りやすいので毎日のお料理に生姜と同じ感覚で使ってみても◎
アロエはなかなか取る機会がないとは思いますが、これも沖縄ではアロエベラが手に入りやすいですね!
透明の中身をお刺身で食べてもおいしいし、酢の物でもいけます。
(さばく時につるんつるん、ニュルニュルするけど、笑)
暑い沖縄には、体を冷やす作用もあるので、この季節にちょうどいいんのではないでしょうか?
ファーマーズマーケットで見かけたら挑戦してみてね♪
そして、ヘアダイやパーマによって頭皮がダメージを受けている場合は
頭皮の硬直によって、頭蓋骨の間に挟まれた血管が縮まってしまって血行が悪くなっている場合が多いよう。
これには頭皮のマッサージが有効です♪
できれば一度80度〜140度くらいに熱したごま油をほんのちょっと使うとデトックス効果がさらに増します。
オイリーな髪がきになる方は、お風呂に入る少し前にマッサージをして、髪を洗う時にオイルも流せば大丈夫。
私は前髪に縮毛矯正のパーマを定期的にかけていた時期があるのですが
やはりその部分が特に髪が痩せてうねっているのを感じます
他の部分にはない白髪も、前髪には数本あって、その時の影響かな〜と思います。
現在はパーマもヘアダイもしなくなったのですが
ファッションの一環として髪色やパーマで髪型を変えるってとっても楽しいし、心の栄養になるからそれも大切。
でも頭皮にはやはりダメージなので、きっちりケアをしてあげてください。
私も若いころ、ドレッドとか根元からのきついパーマ(髪が増量するからね笑)よくやってたんだけど
同時にもっとケアをしておいたらよかったなと思います。
でも、いまからでも間に合うのでマッサージしてね♪
頭皮にオイルを塗布することは体の中身にもとってもいいことがいっぱいなのです。
(そのことはまた次回)
そして、(一番言いたかったの)
なんといってもヘナトリートメントも有効です♪♪
たっぷりのオイルを使ったマッサージと
ヘナの塗布は頭皮のダメージを回復させ、ホルモンバランスも整えるので一石二鳥、三鳥、、
定期的に足を運んでいただいてるお客さまは、
白髪率が減り、ヘアダイの回数が減り、ダメージがなくなるので、また白髪率がへる、、、
という、嬉しいサイクルで実感いただいてます。
(これもサロンを9年やってるので実感です♪)
だから、ヘナきてね♪
ではでは、今日はこれでおしまい。

これはファーマーズマーケットで買ったウコンを乾燥して粉砕したもの。
お茶やお料理(カレー)で使います。
うっちんはアーユルヴェーダでは「天然の抗生剤」と言われるほど薬効、滋養が高いのです。
これを使ったカレーを食べた後は体調がよくなるよ。
ぜひ、試してみてね〜。
(写真がどーしても大きくならない、なんで?)
夏本番の沖縄ですねーいかがおすごしですか?
今日のお題目、ちょっと脅迫めいてるけど、、
最近よくお客様からも聞かれる言葉なので書いてみることにしましたよ。
「髪が痩せてくる」ってよく言いますね。
素敵な中高年の皆様方でも多分、ほとんどの方に経験があるんじゃないでしょうか?この感覚。
私は30代の半ばくらいで、おでこに沢山あったパヤパヤしたおくれ毛がいつの間にかキレイになってる(笑)というのをすごく覚えています。
同時に髪に張りがなくなってウネリが少し強くなりました。
もともと髪の毛が細くって、少し天然のウネリがある私の髪質。
髪が細いから、つむじの地肌が見えちゃうのを中学生くらいのお年頃の時に自覚してしまって、
それからというもの、レイヤーで誤魔化せないかとか、一生懸命努力したのを覚えてます。
もともと髪の豊かなかたはそんなに気にしたことがないのかもしれないけど、お年頃の私には一大事でした。
で、時は過ぎ、、、
ある意味、また来たお年頃(笑)
「髪が痩せる」お年頃。
(出産や授乳で髪が痩せるのも一つのお年頃ですね)
この「髪が痩せる」のには原因があるんですが
・長年繰り返してきたパーマやヘアダイによる頭皮のダメージ
・エストロゲン(女性ホルモンの一種)の減少(男性もですよ)
・カルシウムの不足、栄養不良、内臓疾患、貧血、骨粗しょう症、。。。などなど
アーユルヴェーダでは髪の毛は「アスティ・マル(Ashthi mal)」といって、「骨のゴミ」だと言います。
食物からの栄養が血液になり、骨を作り、その残りが髪や爪を作るといわれていて、
体にとって栄養が十分でそれが吸収されないと、髪や爪まで行き届かずに髪が細くなってしまったり、爪が割れてしまったり。
じゃ、、どうする????
すでに加齢により骨粗鬆になってしまっていたりする場合は食生活から、カルシウムを補う食生活にするとだいぶ回復するようです。
・鶏ガラや煮干しのスープ
・ゴマ
・大豆製品
・バナナやオクラはフォスフォラスというミネラルが豊富なのでオススメだし
・ミネラルの吸収を助けるレモンやお酢を一緒にとれば、なお◎
半年も気を使っていると本当に変わってきます
ぜひぜひ、この体が変わっていく感じ、味わってみてください!
エストロゲンの減少にはウコンとアロエを取るのがオススメ。
沖縄は生のウコンも手に入りやすいので毎日のお料理に生姜と同じ感覚で使ってみても◎
アロエはなかなか取る機会がないとは思いますが、これも沖縄ではアロエベラが手に入りやすいですね!
透明の中身をお刺身で食べてもおいしいし、酢の物でもいけます。
(さばく時につるんつるん、ニュルニュルするけど、笑)
暑い沖縄には、体を冷やす作用もあるので、この季節にちょうどいいんのではないでしょうか?
ファーマーズマーケットで見かけたら挑戦してみてね♪
そして、ヘアダイやパーマによって頭皮がダメージを受けている場合は
頭皮の硬直によって、頭蓋骨の間に挟まれた血管が縮まってしまって血行が悪くなっている場合が多いよう。
これには頭皮のマッサージが有効です♪
できれば一度80度〜140度くらいに熱したごま油をほんのちょっと使うとデトックス効果がさらに増します。
オイリーな髪がきになる方は、お風呂に入る少し前にマッサージをして、髪を洗う時にオイルも流せば大丈夫。
私は前髪に縮毛矯正のパーマを定期的にかけていた時期があるのですが
やはりその部分が特に髪が痩せてうねっているのを感じます
他の部分にはない白髪も、前髪には数本あって、その時の影響かな〜と思います。
現在はパーマもヘアダイもしなくなったのですが
ファッションの一環として髪色やパーマで髪型を変えるってとっても楽しいし、心の栄養になるからそれも大切。
でも頭皮にはやはりダメージなので、きっちりケアをしてあげてください。
私も若いころ、ドレッドとか根元からのきついパーマ(髪が増量するからね笑)よくやってたんだけど
同時にもっとケアをしておいたらよかったなと思います。
でも、いまからでも間に合うのでマッサージしてね♪
頭皮にオイルを塗布することは体の中身にもとってもいいことがいっぱいなのです。
(そのことはまた次回)
そして、(一番言いたかったの)
なんといってもヘナトリートメントも有効です♪♪
たっぷりのオイルを使ったマッサージと
ヘナの塗布は頭皮のダメージを回復させ、ホルモンバランスも整えるので一石二鳥、三鳥、、
定期的に足を運んでいただいてるお客さまは、
白髪率が減り、ヘアダイの回数が減り、ダメージがなくなるので、また白髪率がへる、、、
という、嬉しいサイクルで実感いただいてます。
(これもサロンを9年やってるので実感です♪)
だから、ヘナきてね♪
ではでは、今日はこれでおしまい。

これはファーマーズマーケットで買ったウコンを乾燥して粉砕したもの。
お茶やお料理(カレー)で使います。
うっちんはアーユルヴェーダでは「天然の抗生剤」と言われるほど薬効、滋養が高いのです。
これを使ったカレーを食べた後は体調がよくなるよ。
ぜひ、試してみてね〜。
(写真がどーしても大きくならない、なんで?)
2017年05月18日
胃痛と牛乳とオージャス
久しぶりの更新です。
梅雨の合間にたまに見せてくれる太陽の光が嬉しい朝となりました。
みなさんはいかがおすごしでしょうか?
私は一週間ほど体調が思わしくなくて、アレルギー反応が引き金になり、いろいろと引きずって快調とはいえない日々でした。
5年前にいろんなストレスから(主に長男、笑)初めての胃痛を経験したのです。
それからというもの、すっかり胃が弱くなってしまったのですが、
今回も胃の調子が最後まで回復しません。
飯好きの私にはすごく辛い日々。泣。
食べるとすぐ胸が熱くなり発熱しちゃうし、2時間後にはシクシク痛み出します。
毎日おかゆを作って食べるんだけどとき卵くらいしか入れられなくって
(野菜をいれても消化の負担がおおきくってすごく痛くなるんです)
なんだか血糖値も低くなりがちなようで、仕事以外のことは全く手がつけられませんでした。
どうしようかな〜この状態。。。。
アーユルヴェーダでいうとオージャスがなくなっている状態。
オージャスとは「健康、調和、精神的な成長をつかさどる、生命に関わるあらゆる体液の精妙なエッセンス」のこと。
オージャスを食べ物から得る場合、お手軽なのが「炊きたてのご飯」や「新鮮な牛乳」。
今は胃が荒れていてあまり固形のものが食べられないし、
ご飯はおかゆで毎日食べているから、今日は牛乳を取ることにしました。
牛乳は新鮮で低温殺菌されたものがオススメです
(というかそれ以外だと返って体に負担です、高温の処理によって乳脂肪がトランス化すると言われています)
牛乳は人肌に温めて、空腹時に取らないとオージャスに変換されにくいそうです。
(アーユルヴェーダでは、牛乳の摂取は単独で、他の食べ物と一緒に取るのは良くないとされています)
一般的にも牛乳の油脂が胃壁を守るとされているし、
なんだか私の胃痛に効きそうな気がします
今、牛乳は健康志向の方たちから悪者扱いされることが多いのですが
選びかたによっては、使い方によっては、とても私達を助けてくれるものなんじゃないかと個人的には思っていて、
高温で殺菌されたもの(ほとんどがそうなんだけど)や加工されたもの(これも熱を加えているので)ではなく
全乳で新鮮なものはとてもエネルギーになる気がします。
でもこう言った品質のものはやはり高価なので、毎日は飲まなくって、嗜好品程度に楽しみます。
今日はね、胃痛が長引いてるから、お薬代わりに贅沢して美味しい牛乳を飲むことにしました
あーあたし、早く良くなって美味しいものがたべたいよ〜〜
オージャスとは?→ http://www.el-aura.com/2014071404/
アーユルヴェーダドクターの蓮村先生の記事です。参考になさってください♪

↑これは今日のいただいた牛乳
沖縄ではいつもこれを頂いてます。
(なぜかサムネイルでしか貼れないの、クリックしてみてね〜)
ではでは、みなさま素敵な日々を〜
梅雨の合間にたまに見せてくれる太陽の光が嬉しい朝となりました。
みなさんはいかがおすごしでしょうか?
私は一週間ほど体調が思わしくなくて、アレルギー反応が引き金になり、いろいろと引きずって快調とはいえない日々でした。
5年前にいろんなストレスから(主に長男、笑)初めての胃痛を経験したのです。
それからというもの、すっかり胃が弱くなってしまったのですが、
今回も胃の調子が最後まで回復しません。
飯好きの私にはすごく辛い日々。泣。
食べるとすぐ胸が熱くなり発熱しちゃうし、2時間後にはシクシク痛み出します。
毎日おかゆを作って食べるんだけどとき卵くらいしか入れられなくって
(野菜をいれても消化の負担がおおきくってすごく痛くなるんです)
なんだか血糖値も低くなりがちなようで、仕事以外のことは全く手がつけられませんでした。
どうしようかな〜この状態。。。。
アーユルヴェーダでいうとオージャスがなくなっている状態。
オージャスとは「健康、調和、精神的な成長をつかさどる、生命に関わるあらゆる体液の精妙なエッセンス」のこと。
オージャスを食べ物から得る場合、お手軽なのが「炊きたてのご飯」や「新鮮な牛乳」。
今は胃が荒れていてあまり固形のものが食べられないし、
ご飯はおかゆで毎日食べているから、今日は牛乳を取ることにしました。
牛乳は新鮮で低温殺菌されたものがオススメです
(というかそれ以外だと返って体に負担です、高温の処理によって乳脂肪がトランス化すると言われています)
牛乳は人肌に温めて、空腹時に取らないとオージャスに変換されにくいそうです。
(アーユルヴェーダでは、牛乳の摂取は単独で、他の食べ物と一緒に取るのは良くないとされています)
一般的にも牛乳の油脂が胃壁を守るとされているし、
なんだか私の胃痛に効きそうな気がします
今、牛乳は健康志向の方たちから悪者扱いされることが多いのですが
選びかたによっては、使い方によっては、とても私達を助けてくれるものなんじゃないかと個人的には思っていて、
高温で殺菌されたもの(ほとんどがそうなんだけど)や加工されたもの(これも熱を加えているので)ではなく
全乳で新鮮なものはとてもエネルギーになる気がします。
でもこう言った品質のものはやはり高価なので、毎日は飲まなくって、嗜好品程度に楽しみます。
今日はね、胃痛が長引いてるから、お薬代わりに贅沢して美味しい牛乳を飲むことにしました

あーあたし、早く良くなって美味しいものがたべたいよ〜〜
オージャスとは?→ http://www.el-aura.com/2014071404/
アーユルヴェーダドクターの蓮村先生の記事です。参考になさってください♪

↑これは今日のいただいた牛乳
沖縄ではいつもこれを頂いてます。
(なぜかサムネイルでしか貼れないの、クリックしてみてね〜)
ではでは、みなさま素敵な日々を〜
2016年12月31日
今年もありがとうございました。良いお年を。
早いもので今年もあと数時間。
今年もたくさんの方に遠路お越しいただきまして、感謝しております。
最後の施術は昨日でおわらせていただき、
大晦日の今日はお掃除の仕上げ(できてません、汗)とコンサルテーションの見直しなどなど
一年の締めくくり♪♪
サロン業だけに専念できずに何度もお断りしてしまったことや
時間の融通がきかずにご不便をおかけしたことを大変申し訳なく思っております。
ですが、もうしばらくこのわがままな営業形態でおつきあいください。
仕事としてこれがベストな形ではないことは承知の上ですが
一人の生活者として、いまはこの営業形態がバランスがとれているような気がして。
誠に勝手ですが(ごめんなさい!)
来年も一緒の時間を過ごすできたなら幸いです♪
では、穏やかで、あたたかい年越しを祈って♪
have happy holidays!!!
今年もたくさんの方に遠路お越しいただきまして、感謝しております。
最後の施術は昨日でおわらせていただき、
大晦日の今日はお掃除の仕上げ(できてません、汗)とコンサルテーションの見直しなどなど
一年の締めくくり♪♪
サロン業だけに専念できずに何度もお断りしてしまったことや
時間の融通がきかずにご不便をおかけしたことを大変申し訳なく思っております。
ですが、もうしばらくこのわがままな営業形態でおつきあいください。
仕事としてこれがベストな形ではないことは承知の上ですが
一人の生活者として、いまはこの営業形態がバランスがとれているような気がして。
誠に勝手ですが(ごめんなさい!)
来年も一緒の時間を過ごすできたなら幸いです♪
では、穏やかで、あたたかい年越しを祈って♪
have happy holidays!!!
2016年05月23日
PRINCEとあたしとレコード
プリンスの急逝から一ヶ月
未だあたしはプリンスロスの中にいます。
あまりにも長い喪失感を整理しようかと、ちょっとアウトプットしてみようかと思い書き始めました。
(アップするところまでいけるのか??)
プリンスがこの世を去ってしまってから
これほどの喪失感は自分でも意外で
すごくファンってわけでもなかったし(と思っていた)
ずっと追いかけていたわけでは全然ないし
2回も結婚してたこともしらなかったし
10数年前にエホバに入信したらしいということをエホバ信者の友人から聞いた時に
「へぇーーー」と思ったのを覚えているくらい。
たまにメディアで見かける彼は相変わらず悪趣味スレスレの出で立ちで
普通に出会ったら、めっちゃ苦手なタイプだけど
でもプリンスは突き抜けすぎていて逆にかっこいいなとは思っていた。
でもそのくらいしか好きじゃなかった(と思っていた)
プリンスが逝ってしまったと知ったのは実際のその日の2日後くらいだったんだけど
もう、その喪失感といったら、、
今まで経験したことがないくらい
身体の一部がなくなってしまったかのような、、、失恋した時のそれとは微妙に違うんだけど。
父が亡くなった時よりずっと切ない
(父の時は闘病の後だったから、喪失に備えて、悲しみのカプセルみたいのをコツコツ飲んでいたみたいなところもあって
落ち着いて臨終を受け入れることができたんだけどね。)
この予想外の喪失感。
なんなんだろうって。。
頭の中でずっとプリンスの声が聞こえます。
今でも、いまも
こんなにあたしという人間が「PRINCE」で構成されていたとは知らなかった。
ボウイやグレンフライの時もちろんこんな喪失感なかった
フレディの時も
リバーフェニックスの時も
清志郎の時も
いつこんなにプリンスがあたしの中に染み込んだのか。。。。
プリンスとの出会いは中学2年くらいだったろうか?
よくは覚えていないのだけれど
うちにあった、パープルレインのサントラとも言える同題のレコードを繰り返し繰り返し聴いていたのはよく覚えています。
当時はCDじゃなくバイナルレコード。
A面とB面がある12インチのアルバム。
あの頃の音楽環境はカセットテープとバイナルレコード。
ちなみにあたしが初めて自分のお小遣いで買ったレコードはビリージョエルのオネスティーでした
小学5年くらいだったと思う。
お小遣いを貯めて8インチのシングル(ドーナツみたいなやつ)を近所のレコードやさんに買いに行きました。
うちには家具調の大きなスピーカーとアンプがあって、
父親が音楽好きだったこともあり、
物心ついた時からレコードの音には親しんだ。
父はいろんなジャンルを聴いていたけど
オーケストラをよく聴いていたと思います。
だからその影響か、マーラーや、あとはバロックオルガンの音を無性に聴きたくなることもありはします。
で、プリンス。
プリンスのレコードは自分で買った覚えはないので多分お兄ちゃんが買ったものだったのだろうと思うんだけど。
その頃うちにあったレコードって
レッドツェッペリンとかディープパープルとかサンタナとかTレックスとかシカゴとか。。
その中にプリンスも何枚かあって、一番聴いていたのはプリンスのパープルレインのアルバム。
あのレコードジャケットは正直、悪趣味じゃね?・・とかおもいつつ。
(だってビラビラのドレスシャツに紫のパンクっぽい長いテーラーで下品な装飾のバイクに跨ってるとかさ、純粋な13、4歳の少女にはとても受け入れられなかったw)
でも繰り返し、繰り返し聴いていたな〜〜
オートリピート機能がついていたからね、本当に飽きるまで、擦り切れるくらい。A面もB面も。
今でも「I would die for you」とか「Beautiful ones」とか「When doves cry」とか身体の奥の方からキュンとくるし
パープルレインは一緒にファルセットしてしまうし
(今気づいたけど、英語もろくにできないくせに「4U」とか「2U」とか書きたくなってしまうのは山田詠美じゃなくて、プリンスの影響だなw)
今でもそうだけど、あたしは気に入った曲があったら必ずアルバムで購入するの。
作品を単品で買ったのはお金がなかった小学生の時のオネスティーだけじゃないかな。
中学生からはお年玉とかで、すでにバイナルのフルアルバムを買っていたと思う。
そのすぐ後はCDメディアの時代になっていくけど。
アルバムって全部をひっくるめて、そのアーティストの一つの作品だと思ってるし、
通して聴いてるうちに最初は好きじゃなかった曲が一番お気に入りになったりしてね。
好きだって感じたアーティストを単品の作品だけじゃなくて、
アーティストとしてもう少し知りたくなるんだよね
だからアルバムで欲しくなる
プリンスの場合も
アルバムっていうものがストーリーになって、身体に刻み込まれたのかもしれない
で、バイナルだったから特に。
バイナルってその場の丸ごとの波動をレコードしていくから、聴覚では聞き取れない波動(CDではそこはカットされているらしい)も全て刻まれていて
その聞き取れない振動がとても脳にもいいんだって(音に詳しい友達が言っていた)
あたしは、一番感性が敏感な時代を プリンスの、しかもバイナルを 聴きまくり過ごしたわけだから
知らず知らずのうちにプリンスの作り出すストーリーを身体の奥深くまでいっぱいに刻んでいったんだろうなー
だから、プリンスがいなくなってしまって、この喪失感なわけだきっと(仮説)
この、思春期の感受性の尖った時に全身でバイナルの音を吸収した影響だろうか?
しかもアルバムをくりかえしフルで聴いていたし
だからプリンスのストーリーが身体の深部に刻まれたんだろうか。。
(それでプリンスロスが深刻なのかな、、、繰り返す思考w)
でね、プリンスの音っていろんな要素を含んでいて
その後あたしはいろんなジャンルを貪るんだけど
その下地も作っていただいたような気がします
でもその後に聞いたのはCDがほとんとで
オールディーズになってしまいそうなモータウン系も
よほど聞いたフレディージャクソンとかジョニーギルとかキーススウェットとか
ダニーハザウェイもマーヴィンゲイも
マクスウェルもD’アンジェロも
レニークラヴィッツも
クリスレアも
フュージョンもアンビエントもチルアウトも・・・(manymanymore!)
でもCDで聞いてるから
仮に誰かが急にいなくなってしまっても・・・
例えば大好きなハービーハンコックがいなくなってしまってもこれほどショックではないんだと思う。(仮説)
あの頃のバイナルの「体験」だったからこそなんだよね、きっと(仮説)
って仮説を立てたところでやっぱり
プリンスロスは変わらず、みたい、、、、、
Dear Prince
I realized I missing important something in my heart when you gone.
rest in peace
広い世界で会えるのを心待ちにして、生きることにする。
未だあたしはプリンスロスの中にいます。
あまりにも長い喪失感を整理しようかと、ちょっとアウトプットしてみようかと思い書き始めました。
(アップするところまでいけるのか??)
プリンスがこの世を去ってしまってから
これほどの喪失感は自分でも意外で
すごくファンってわけでもなかったし(と思っていた)
ずっと追いかけていたわけでは全然ないし
2回も結婚してたこともしらなかったし
10数年前にエホバに入信したらしいということをエホバ信者の友人から聞いた時に
「へぇーーー」と思ったのを覚えているくらい。
たまにメディアで見かける彼は相変わらず悪趣味スレスレの出で立ちで
普通に出会ったら、めっちゃ苦手なタイプだけど
でもプリンスは突き抜けすぎていて逆にかっこいいなとは思っていた。
でもそのくらいしか好きじゃなかった(と思っていた)
プリンスが逝ってしまったと知ったのは実際のその日の2日後くらいだったんだけど
もう、その喪失感といったら、、
今まで経験したことがないくらい
身体の一部がなくなってしまったかのような、、、失恋した時のそれとは微妙に違うんだけど。
父が亡くなった時よりずっと切ない
(父の時は闘病の後だったから、喪失に備えて、悲しみのカプセルみたいのをコツコツ飲んでいたみたいなところもあって
落ち着いて臨終を受け入れることができたんだけどね。)
この予想外の喪失感。
なんなんだろうって。。
頭の中でずっとプリンスの声が聞こえます。
今でも、いまも
こんなにあたしという人間が「PRINCE」で構成されていたとは知らなかった。
ボウイやグレンフライの時もちろんこんな喪失感なかった
フレディの時も
リバーフェニックスの時も
清志郎の時も
いつこんなにプリンスがあたしの中に染み込んだのか。。。。
プリンスとの出会いは中学2年くらいだったろうか?
よくは覚えていないのだけれど
うちにあった、パープルレインのサントラとも言える同題のレコードを繰り返し繰り返し聴いていたのはよく覚えています。
当時はCDじゃなくバイナルレコード。
A面とB面がある12インチのアルバム。
あの頃の音楽環境はカセットテープとバイナルレコード。
ちなみにあたしが初めて自分のお小遣いで買ったレコードはビリージョエルのオネスティーでした
小学5年くらいだったと思う。
お小遣いを貯めて8インチのシングル(ドーナツみたいなやつ)を近所のレコードやさんに買いに行きました。
うちには家具調の大きなスピーカーとアンプがあって、
父親が音楽好きだったこともあり、
物心ついた時からレコードの音には親しんだ。
父はいろんなジャンルを聴いていたけど
オーケストラをよく聴いていたと思います。
だからその影響か、マーラーや、あとはバロックオルガンの音を無性に聴きたくなることもありはします。
で、プリンス。
プリンスのレコードは自分で買った覚えはないので多分お兄ちゃんが買ったものだったのだろうと思うんだけど。
その頃うちにあったレコードって
レッドツェッペリンとかディープパープルとかサンタナとかTレックスとかシカゴとか。。
その中にプリンスも何枚かあって、一番聴いていたのはプリンスのパープルレインのアルバム。
あのレコードジャケットは正直、悪趣味じゃね?・・とかおもいつつ。
(だってビラビラのドレスシャツに紫のパンクっぽい長いテーラーで下品な装飾のバイクに跨ってるとかさ、純粋な13、4歳の少女にはとても受け入れられなかったw)
でも繰り返し、繰り返し聴いていたな〜〜
オートリピート機能がついていたからね、本当に飽きるまで、擦り切れるくらい。A面もB面も。
今でも「I would die for you」とか「Beautiful ones」とか「When doves cry」とか身体の奥の方からキュンとくるし
パープルレインは一緒にファルセットしてしまうし
(今気づいたけど、英語もろくにできないくせに「4U」とか「2U」とか書きたくなってしまうのは山田詠美じゃなくて、プリンスの影響だなw)
今でもそうだけど、あたしは気に入った曲があったら必ずアルバムで購入するの。
作品を単品で買ったのはお金がなかった小学生の時のオネスティーだけじゃないかな。
中学生からはお年玉とかで、すでにバイナルのフルアルバムを買っていたと思う。
そのすぐ後はCDメディアの時代になっていくけど。
アルバムって全部をひっくるめて、そのアーティストの一つの作品だと思ってるし、
通して聴いてるうちに最初は好きじゃなかった曲が一番お気に入りになったりしてね。
好きだって感じたアーティストを単品の作品だけじゃなくて、
アーティストとしてもう少し知りたくなるんだよね
だからアルバムで欲しくなる
プリンスの場合も
アルバムっていうものがストーリーになって、身体に刻み込まれたのかもしれない
で、バイナルだったから特に。
バイナルってその場の丸ごとの波動をレコードしていくから、聴覚では聞き取れない波動(CDではそこはカットされているらしい)も全て刻まれていて
その聞き取れない振動がとても脳にもいいんだって(音に詳しい友達が言っていた)
あたしは、一番感性が敏感な時代を プリンスの、しかもバイナルを 聴きまくり過ごしたわけだから
知らず知らずのうちにプリンスの作り出すストーリーを身体の奥深くまでいっぱいに刻んでいったんだろうなー
だから、プリンスがいなくなってしまって、この喪失感なわけだきっと(仮説)
この、思春期の感受性の尖った時に全身でバイナルの音を吸収した影響だろうか?
しかもアルバムをくりかえしフルで聴いていたし
だからプリンスのストーリーが身体の深部に刻まれたんだろうか。。
(それでプリンスロスが深刻なのかな、、、繰り返す思考w)
でね、プリンスの音っていろんな要素を含んでいて
その後あたしはいろんなジャンルを貪るんだけど
その下地も作っていただいたような気がします
でもその後に聞いたのはCDがほとんとで
オールディーズになってしまいそうなモータウン系も
よほど聞いたフレディージャクソンとかジョニーギルとかキーススウェットとか
ダニーハザウェイもマーヴィンゲイも
マクスウェルもD’アンジェロも
レニークラヴィッツも
クリスレアも
フュージョンもアンビエントもチルアウトも・・・(manymanymore!)
でもCDで聞いてるから
仮に誰かが急にいなくなってしまっても・・・
例えば大好きなハービーハンコックがいなくなってしまってもこれほどショックではないんだと思う。(仮説)
あの頃のバイナルの「体験」だったからこそなんだよね、きっと(仮説)
って仮説を立てたところでやっぱり
プリンスロスは変わらず、みたい、、、、、
Dear Prince
I realized I missing important something in my heart when you gone.
rest in peace
広い世界で会えるのを心待ちにして、生きることにする。